ろんぱくちゃんねるの日記

ペットショップの売れ残り、元保護犬、ミニチュアダックスフンドコンビの日常

29.東日本大震災から10年

東日本大震災から10年

 

コロナ以前は年に2回は福島へ遊びに行っていた。

小さな頃暮らした祖父母の家へ

里帰りするように通った。

叔父、叔母をおとー、おかぁ、と呼ぶほど実家感覚。

 

実父と一緒にロンさん、ハクさんを連れて。

 

震災当時、実父は福島に居た。

翌日の同窓会に出席するため。

私と妹は一足先に帰京。

もう少しのんびりしていたら帰れなくなっていた。

 

祖母も存命で妊娠中のいとこの奥さんとまだ4歳のいとこの子供。

居間でのんびりおやつでも

といった所だったろう。

 

父はこたつに皆をもぐらせて

テレビが台から落ちないように押さえた。

後日私も震災の震度を避難訓練で体験したが

体調を崩す可能性がある、という事で完全再現はしないとの事だった。

その位ひどく揺れた。

 

叔父が仕事先から安全を確認しに帰宅し、

道には亀裂が入ったが家も人も無事、一安心して戻った。

 

始め村では原発のある隣町、大熊からの避難民を受け入れ

防災無線で食料や毛布の寄付を募った。

農家でもあるので大量のおにぎりや使っていない毛布を差し入れた。

そうこうしているうちに

 

ここも危ない

 

となった。

海からの風は入ってこない地形、とばーちゃん。

でも放射能ってどう動くの?

 

地区のガソリンスタンドは大行列。

当面のお米90㎏、猟犬のリー君も連れて

内陸のいとこのマンションへ避難。

マンション自体は無事

だけどマンションの駐車場はベコベコ。

 

大人6人、子供1人、犬1匹の避難生活。

幸運だったのは避難所への避難ではなかった事。

高齢の祖母、妊婦にはこたえるだろう。

父が一度別件で避難所に避難したがひどい所だと言っていた。

床に寝ていると足跡が響き、プライバシーなど無い。

この時は念のための避難だったので一晩過ごすことが出来ずに自宅に戻った。

 

マンションの部屋は一階だったので猟犬のリー君はお庭へ。

慣れない都会の喧騒でストレスが溜まり吠え続け

結局親族のお家へ避難することとなった。

 

震災時、自宅に居た私は強い揺れを感じ

窓を開けると

街灯が揺れ、近所の人が騒ぎながら外へ出ていた。

悪い予感がしてテレビを点けると

福島がひどい。

父に電話を掛けた。

 

繋がる。

 

無事を確認できたので安心して図書館へ。

返却しなければいけない本があった。

図書館では余震の中、皆割と普通にしている。

 

夫が心配して私に電話していたが繋がらず

職場はぐちゃぐちゃになってしまい

ガソリンも無いので車での帰宅が出来なくなった。

 

妹は電車が止まり

友人を連れて自宅まで歩いて帰宅。

自宅の飲食店はその日以来休業。

お米はたくさんあったが

それはそれで悪い人に狙われないか心配で

食料と一緒に妹も我が家に避難させた。

 

友人も我が家に避難してきたが

彼氏と落ち合うとのことで帰宅。

お米も売ってないので少し持たせた。

 

福島には毎日電話した。

東京からは繋がるが

福島県内から県内や福島県内から県外は

繋がりにくい状態が続き

高速道路は走れない。

ガソリンも不足していて父は1月程戻らなかった。

 

私の当時のバイト先が2時間程度のコース料理を出すお店で

輪番停電実施地区だったので営業に影響。

勤務時間が調整されてしまったので

別の店にバイト先を変えた。

 

スーパーの品切れや大行列。

大変だった気はするけれど

どんどん薄れていく記憶。

 

だけどあの年

妊娠中だったいとこの奥さんが可愛い女の子を産んだ。

こないだの地震で愛猫を守ろうと

こたつに引きずり込んだ勇敢な子。

とても尊くて大切な命も産まれていた。

 

忘れないように、まとまってないけど

残しておこう。

 

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お昼寝わんこ

 

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